成長、発展、繁栄 とか。
筆者は、企業変革の支援を多く行ってきたが、時々、ふと、どこまでの支援をするべきか、と考えることがある。
支援する企業の変革には、「上手くいっていないので困っているものを、上手く行くようにする」ような支援もあれば、「現時点で問題はないが、もっと先へ行きたい」との支援もある。さらには「どこへ行くべきかは見えていないが、もっと先に行くべきとは思うので、どこへ行くべきかを教えてほしい」のようなものもある。
現時点で問題ないがもっと先へ行きたい、との要望は、その企業にとってはさらなる成長をしたいとのことでもある。財務指標としての売上や利益を拡大したい。そのためにもっとチャレンジをする。しくみを高度化し、人と組織を強くする。
その結果、競合よりも強い事業に変革し、売上利益を拡大させる。
筆者も若かりし頃には成長を強く望んでいた。若かりし頃に、努力せずに成長していなかった自分を痛感し、努力して成長したいと強く願い、行動した。その結果、成長できた。
そのような原体験があるからこそ、成長することを、自分の価値観の最優先の位置に置いていた。
筆者は天才でも秀才でもない。そして、世界一努力をしている人間でもない。しかし、努力をして成長できた。自分なりの成長だ。
そのような成長に拘って過ごしてきた人生のある時期に、ふと、考えた。
そもそも、自分は、何のために成長するのか、と。
過去、自分自身が弱かった時は成長して強くなり、もっと幸せをつかもうとしていた。できないことが多くあった。悔しい思いも多くあった。その弱い状態のままいたくなかった。だから努力して、成長して、多くの事ができるようになり、レベルも上がり、そして、ある程度の幸せをつかむことが出来た。転職し、経験もスキルも高め、プロとして社会に価値提供できている実感も増した。
お気に入りの自宅を購入し、庭で好きな趣味を楽しみ、家族と幸せな時間も過ごせていた。やりたいことの全てをやれていたわけではないが、大きく不足しているわけでもなかった。いわゆる中流なのだろうか。
人生が80年だとすると、その中間地点くらいの時に、これまでこだわっていた成長への疑問が多くなった。何のために成長するのか。何を成し遂げるために成長するのか。弱かった若かりし頃に、強くなりたいと思い拘った「成長」は、強くなった自分に、若かりし頃と同じような拘り・価値観ではなくなっていた。
今の、これからの自分は、いったい何のために成長するのか。考え、そして結論が出た。
筆者自身は、未来を育てることをやりたい。そして、そのために、自分自身も成長する必要がある、と。
育てたい未来は、その先の未来を育てられるような未来。短期的に急激に成長してその先に負の遺産を残すような成長ではない。
自分自身の人生を、先々必ず終わる人生を思い浮かべたときに、健康で健全で強靭であることがまず基盤として必要であり、その上に色々な柱を立てるイメージだった。高い柱を立てること、その柱をさらに高く伸ばすことに注力しすぎて、基盤である健康健全が弱くなるのは本末転倒だ。
年齢を重ねるにつれ、健康健全であることの重要さが増した。だから、疲弊するような働き方はしないし、必要以上に儲けるために不眠不休で自分を使いまくることもしない。自分自身の短期的な未来は、その先の未来につながるような状態であるべきだ、と。そして人として天命を全うするその瞬間まで、出来る限り健康健全で強靭に過ごし、豊かな精神で過ごすのだ、と。そして、それに見合った成長で十分なのだと。
さて、自分の人生における成長は、必要だが疲弊するようなやり方はしないと決めたが、支援する企業に対しては、筆者の考えはある程度の影響を与えられるが、多くの場合は企業の思惑に沿った支援になる。
3年後の利益をこれまでの2倍にするために、無理ゲーのような中計をつくり、それを達成するために外部コンサルとして支援に入ることもある。その企業にとって、その無理ゲーのような中計達成は、挑戦なのか、それとも無謀なのか。発展、繁栄を強く望むがゆえに、社員が疲弊した日々を過ごすことは、その社員にとって、その社員の人生において、はたしてステキな時間になるのだろうか。
企業が成長、発展、繁栄に強く拘ることで、この地球が疲弊してゆくこともあるのではないか。
そう考えると、支援したい企業と支援したくない企業、支援したいプロジェクトと支援したくないプロジェクトが出てくる。筆者が意義を感じる企業やプロジェクトは筆者も気持ちよく、やる気高く支援する。
他方、筆者が意義を感じない企業やプロジェクトは筆者も気持ちが下がりぎみになる。企業変革のプロとしては、パフォーマンスを低下させることはプロ失格とも思える。だからこそ、プロとして、意義ある支援を選ぶべきだとも思う。
負の側面が多くある無謀で暴力的な成長をコミットしなければならないプロジェクトではなく、未来を育てることに合致したプロジェクトでありたい。そのようなプロジェクトは、多くの倫理的な要素をもったものだ。しっかりとした倫理観をもって企業変革をする。その、倫理というものが、益々重要になっていると感じている。
成長するのは目的ではなく手段となる。何のために成長するのかという目的が、とても大切だ。
株主へ利益を還元するため。そのために売上を追究する。その結果、先々の未来にマイナスになるような状態をつくってしまう。それは、倫理的に善ではなく悪に近い感じがする。
善と悪は、程度の問題なのかもしれないが、その程度を考えるうえで、倫理というものが重要になるのだろう。
企業のリーダーも、支援するコンサルタントも、スキルを使って成長変革を成し遂げることができるが、何のためにそのスキルを使うのか、そこをしっかりと考えて使いたい。