心理的安全性と企業のパフォーマンス

心理的安全性。

最近、某グローバル企業のリサーチなどでも話題になった、心理的安全性。これが、チームのパフォーマンスを高める最重要な要素らしい。

最重要かどうかは筆者には判断できないが、感覚的に、心理的安全性がチームのパフォーマンスを高めるために重要なのは容易に理解できる。

しかし、心理的安全性がどの程度高いのかを判断するのはなかなか難しいだろう。

身体的安全性は、目で見てわかるものが多いため、判断しやすい。そして、判断しやすいがゆえにほぼ法律で守ることもできているのだとも思うが。

心理的安全性は、心理そのものが非常に見えにくいものであるため、扱いは難しいだろう。

では、心理的安全性が低いとは、どのような状態か。

安全ではないのだから、危険なのだ。危ない。自分の心理が。悲しい、腹立たしい、虚しいのような気持ちが多く強い状態。と、解釈する。

では、どのような「危ない」があるのだろうか?

「『CHANGE 組織はなぜ変われないのか』/ ジョン P. コッター ,バネッサ・アクタル ,ガウラブ・グプタ」

の中に、生存チャネルと繁栄チャネルの考え方が載っている。

組織の中で、自分が、生きることができるのか、繁栄させることができるのか、のマインドの方向性のようなものだと解釈できるが、たとえば生存チャネルが全開の状態だと、繁栄チャネルは全閉になり、逆に繁栄チャネルが全開だと生存チャネルは全閉になる。自分というリソースから生まれる活動の総量がある程度決まっている中で、どちらのチャネルに配分するか、そのような考え方。

これは、なるほど、と感じる。

全てに適用できるかは少し疑問もあるが、このように単純化してわかりやすくイメージできるのは良い。

心理的安全性が低い、つまり危険な状態とは、この生存チャネルが大きく開いている状態ともいえる。自分というリソースを、その活動を、自分が生存するために使う。まず自分が生き残る。

自分を生存させるために、極端な場合は、他者は信じられない。信じて裏切られて自分が生存できなくなるのは恐ろしい。だから、協力もしない。するかもしれないが、全力で協力することはない。自分というリソースを表に出して、搾取されると自分が損をして、組織から出てゆけと押される。そんな危険が大きな状態。だから生存チャネルを大きく開けて、自分を生存のために使う。

その結果、繁栄チャネルは閉じてゆく。自分というリソースは繁栄のためには使わない。

繁栄のために敢えて冒険して新しいことを見つけに行ったり、リスクを負って挑戦したりしない。現状維持。そして、協力も協働も最高値では行わない。その結果、自分も組織も成長できずに停滞する。それは、成長している外部と比較すると相対的には退化となる。繁栄なく、逆に退化。

このメカニズムを、マズローの欲求段階説に当てはめてみると、最下位の生理的欲求、2段目の安全欲求、3段目社会的欲求はこの生存チャネル側で、4段目の承認欲求は部分的に入る、そんな感じだろうか?

企業組織という、社会性があり、かつマネジメントという責任と権限が定義されているがゆえに強いものと弱いものが発生する複雑系の中で、自分が生存できているということは社会人としてはとても大切で重要なことだ。

そしてそれは、所属している企業組織の外側にある自分自身の生きている環境とも密接に関係する。所属している企業組織から得る報酬が無くては今の生活が成り立たなくなるという恐怖が大きければ大きいほど、所属している企業組織から受ける影響は相対的に大きくなる。何としてでも所属している企業組織に所属し続けて報酬を得なければならない。その報酬を使って、所属している企業組織の外側での自分を保たなければならない。まず生きることが最優先だ。

逆に、所属している企業組織から出ても生きていけるような個人の資産があったり、別の企業組織に簡単に移ることができるのであれば、今所属している企業組織の中で生存し続ける必要性は下がる。

そう考えると、個々人の事情により、安全性の尺度も変わるのかもしれない。

筆者は職業柄、人材育成も組織開発もするが、人材育成だけのプロジェクトの場合は、上述したような組織の心理的安全性や個々人の事情を全く考慮しないで進めている企業は少なくない。個々人の特性に合わせて様々なプログラムを準備していたとしても、そもそも組織が不適切な状態であるため、人材育成そのものが効果的に進んでいない。筆者がそのような企業の支援をする際は、組織開発の提案も行う。そうしなければ、企業のパフォーマンスは上がらない。

少し例えが違うかもしれないが、世界の中には様々な国があり、教育水準も異なる。いわゆる後進国や途上国と言われる国では、教育水準も高くないのことが多いと思われるが、そのような国で教育だけにチカラを入れても、社会がなかなか良くならないのは、生存チャネルを大きく開かなければならない社会環境が大きな要因とも考えられる。教育を受けている人々が生きている環境そのものが劣悪だと、活動はそれに引っ張られてしまう。

筆者は様々な企業の支援をしてきたが、組織開発は、国において社会そのものを高度化してゆくのと同じように、とても重要だ。しかしながら、組織開発に充分なチカラを入れている企業は多くない。

それは、やはり、難しいからだと思われる。