強味を伸ばすか?弱みを克服か? ②
・・・つづき。
こと組織開発においては、TOCは当てはめられていないような感じを持った。
業務改善など、対象が製造ラインや設備の場合は問題解決はほとんどが単純系のロジックだ。
しかし組織開発は人の組織そのものが複雑系なので、ボトルネックを見つけても解決しないことは多々ある。
そのような違いもあってか、組織開発でボトルネック潰しをすることが少ないのかもしれない。
なかなか自己変革できない人は少なくない。アウトプットの低いボトルネックに経営として投資しても、そして仮に自己変革できたとしても、アウトプットの増加があまり期待できないからなのかもしれない。投資対象だけを見るという部分最適視点では、投資対効果が低いとして見られるのかもしれない。
しかし、先述の筆者の体験での学びを当てはめると、ボトルネックは、やはり全体にとっての制約だ。その制約を取り除くことは、組織全体のパフォーマンス向上には欠かせないと考える。全体最適視点でみると、アウトプットの低いボトルネックに投資することは、投資対効果が、もしかすると最大なのかもしれない。
もちろん、ボトルネック人材を、その組織から切り離すこともできる。そうすることでボトルネックだった人材よりも、強い人材を入れ、全体の強さを高めることもできるだろう。
しかし、組織は人が協働する統合モデルとしての大きな複雑系のシステムだ。新しい人材が協働するために新しい調整は必要になるだろうし、ボトルネックだった人を切り離したという事実が残っている人々に良くない影響を与えていることでシステム全体の円滑度合いが低下することもある。
もし、ボトルネックだった人材を切り離すという事象を、全体への影響として考えると、組織の中には、自分自身が切り離されるかもしれないという恐怖が広がり、発展という攻めのマインドよりも、生存という守りのマインドが浸透するだろう。それが組織全体の協働を弱め、組織が産み出すアウトプットの低下につながる。
ボトルネックのパーツを切り離して高い性能のパーツを入れたにも関わらず、全体のパフォーマンスが低下する。瞬間的に、短期的には全体のパフォーマンスは高まるかもしれないが、中長期的には全体のパフォーマンスは下がるのではないだろうか。
それが、組織開発の難しさの1つでもあると考える。
そして、多くの企業が、その組織開発の難しさを知らずに、組織運営しているのではないだろうか。もしそれらを理解できていたとしても、効果的な施策を打てずに、結果的に停滞しているのではないだろうか。
組織開発のプロとして多くの企業変革の支援をしてきた筆者は、そう感じることは多い。
では、組織開発の視点で、ボトルネックをどうすべきなのか?
ボトルネック人材は、なぜボトルネック人材なのか?
ボトルネック人材がボトルネックになっているのは、本人の意志による行動の集積でもある。であるので、その本人が変革を努力すべきだ。
それは間違いではないと考える。
しかし、ボトルネック人材が、そのような意志で行動したいのか?
そうせざるを得ないような環境からの影響はないのか?
人は、強いし弱い。
筆者の肩の痛みは、なかなか完治しない。筆者はもっとトレーニングしたいのだ。そして、この痛めてパフォーマンスの上がらない左肩も、きっともっと正常な状態の左肩になりたいのだ。
そして、意志のある自分は、自分自身のあり姿を、もっと強靭な自分として描いているのだ。
しかし、それがなかなかできない。
本人でも取り除くのが難しい制約がある。
企業組織にも、そのように、本人でも取り除くことが難しい制約があるのではないだろうか?
ボトルネック人材の背景に、見ていないもの、介入できていないものが、あったりしないのだろうか?
たとえば、ボトルネック人材が、自分自身のパフォーマンスを発揮できないような心の状態を、信頼できない上司がつくってしまっていることはないのだろうか?
そう考えると、ボトルネック人材という弱みを克服することも大切であり、そのボトルネック人材という弱みを克服するために、見えていない、介入できていない領域に介入することも重要であり、そのためには複雑系の内部からの介入ではなく、複雑系の影響を受けない外部からの適切な介入が必要なのではないだろうか。
長年、人材組織開発のプロとして外部から介入してきたからこそ、それを感じることが多くある。

