境界管理の大切さ ①

境界。

境界というのは、色々なところに存在する。

会社では、機能部門と機能部門の間や、担当と、担当の、間。時間軸での月や年度の間など。

この、境界を上手く成り立たせるという支援は、多くやってきた。営業と生産の垣根を越える、異なる企業や組織の統合によって残っている文化を融合させる、チーム内の多様性という違いを活かす、などなど。

そして恐らく、境界を上手く成り立たせることが得意のような感覚も持っている。

企業変革の話題とは離れてしまうが、考えるための材料としては興味深い事象がある。それは、人間と自然の境界の話だ。

ここ最近、野生の熊による被害が多く聞かれている。熊と言っても、北海道ではヒグマ、本州ではツキノワグマになるが、どちらの被害も増えている。

筆者は北海道生まれで、24歳までは北海道で過ごし、その後東京勤務の後にも釧路へ転勤したのもあり、人生の半分程は北海道にどっぷりと浸かっていた。なので、ヒグマの存在は身近でもある。

ただ、筆者が幼少期を過ごしていたときよりも、ここ最近はヒグマによる被害が多い。確実に。

その要因は色々とあるようだが、まず、北海道の歴史は、先住民族であるアイヌの人々の歴史は長いが、本州から入って開拓を始めてからはまだ200年そこそこでしかない。まるでアメリカの先住民族と白人のようだと筆者は感じていた。

北海道では、北海道の外を「内地」ということが多い。北海道が「外地」として「内地」の人から指定された名残なのだと思うが、その内地の人が北海道に入り開拓を開始してからは、人々が生活するための障害となるヒグマは、駆除の対象としてその多くが駆除されてきた。その結果、ヒグマの個体数は著しく減った。

そして、個体数の著しい減少に対して、今度は一転保護の対象になった。保護と言っても、総数管理のために駆除を減らしたのであって、全く駆除しないのではない。しかし保護によってヒグマの個体数は徐々に増えた。

同じように、エゾシカも駆除から保護を経て個体数はかなり増えた。

筆者が育った苫小牧市でも、筆者が住んでいた頃と比較すると、最近帰省した時に見るエゾシカは比較にならないほど多い。

苫小牧市は東西に細長い市街地だ。その市街地の西の端に筆者の育った実家がある(あった)のだが、市街地の西側は南北に5km程度の幅であり、筆者の実家は北側の山の近くにあった。筆者の父が新築の建売住宅を購入した昭和の時代は、多くの子供で賑わっていた、いわばニュータウンだったが、その当時小学生だった筆者と同様に高校を卒業後は別の土地に出てゆく人が多く、現在ではさびれた住宅街でもある。

筆者が実家に帰省し、別の場所へ移動する際は、たとえば札幌へ移動する際などは、その西のはずれの住宅街から、東に向かって山際の裏道を走ることが多い。その山際の道を走っていると、今では昼でも野生のエゾシカを見ることが一般的になっている。そして、原野の残る東の勇払地区は、工場など人工物も多いのだが、原野も残っているため工業港の直ぐ側にエゾシカが群れているほどだ。それほどまでに、エゾシカの数が増えているのを実感する。

反対に人間は道民の総数は開拓当時からは相当増えているが、札幌やその近郊に集中し始め、道北、道東などの小さな町、村、そして市までも人口が減り、ここ最近は廃墟も目立ってきた。

温暖化とエゾシカが増えたことで、冬眠せずにエゾシカをエサ(ほとんどは生きているエゾシカではなく死んだエゾシカらしいが)として越冬するヒグマも増えた。

北海道の森も、部分的には人工林に置き換えられ、古い時代に得られていた木の実を得られる森は減少したが、本州よりはまだまだ古い時代の森が残っているので、北海道に限っては森林の形態変化による熊への影響は、本州のそれより小さいと思われる。しかし、影響は出ている。

これら様々な要因が絡み合って、ヒグマにとっては、人間から駆除されるというリスクが下がり総数が増えたが、森林の木の実が減ったことで、木の実という食料を得るためのライバルがヒグマの総数増加よりも相対的に増加した。しかしエゾシカというエサは増えたため、冬は生き延びやすくなった。全体的には総数が増えたこともあり、これまでの生息域では縄張りが足りずに、少しずつ人間の生活域へ近づいてきた。

一部の都市部以外では人間が去り、ヒグマの活動域は、人々の生活域を侵食するように広がった。

少子高齢化もあり、人々が生活していたエリアの、人の生活圏と森との境界は、人々の管理が行き届かなくなってきたため、徐々に森化が進み、その結果、ヒグマが活動しやすい場所も増えた。

人の活動とヒグマの活動域の境界は、緩衝帯がほとんどない感じで近接し、人とヒグマがいきなり出会うことも多くなった。

ヒグマの総数管理は、人々が安全に暮らすためには必要と考んがえるが、人とヒグマの活動域の境界管理がされなければ、偶発的な人とヒグマの接触は避けられないとも考える。それはまるで、見通しの悪い交差点での出合い頭の衝突である。

元々ヒグマは、人に対して攻撃したいのではなく、人と接触しないで平和に過ごしたいのだと思う。内地の人が北海道に入り開拓し始めたころは、北海道の陸の王者はヒグマだった。その後、人が増え、人の生活のためにヒグマを駆除し、その活動の影響もあり人の生活とヒグマの生活は分断されていた。中期的にみると、人にとっては適切な境界管理であったのかもしれない。

しかし、近年はそれが機能崩壊し始めている。

生活圏という物理的な境界だけではなく、特に観光地では観光客によるヒグマへの接近、エサやりなどによる心理的境界も大きく変化している。

北海道で春熊駆除を実施していた頃は、駆除によるヒグマへの圧力が、人に対する心理的境界を強くしていた。しかし、観光客がヒグマに近づきエサをやることで、ヒグマにとっては人は恐怖ではなくエサを得ることのできる便利な存在になってしまった。

だから人の生活圏への侵入は心理的にも進みやすく、物理的な境界の変化と相乗効果もあり、人とヒグマが対峙する機会が増えてしまった。そう考える。

物理的な境界とは、人の生活圏と、野生動物の生活圏の間にある物理的空間だ。住宅地の隣に、管理されなくなった林が変化した鬱蒼とした森がある。これではヒグマと人間が偶発的に出会う確率は高くなる。

住宅地のそばの鬱蒼としてしまった森は、間伐など管理することで、ヒグマが侵入しにくくなる。

心理的な境界とは、それぞれの、確実に別の生き物であるという個性を尊重した接し方によって生み出されるものだ。人間の文化の中の食べ物の味を記憶させてはならない。人間の食べ物から遠ざける。ドライブ中に道で遭遇した際に車の中から人間の食べ物を与えるなんてもっての外だ。罰金でよい。長い間、心理的境界があったにも関わらず、それが無くなってきている。一部の人の未来を考えられない無責任な行動により。それを回復させるためには、長い年月が必要なのに。

人とヒグマの境界を、物理的な境界も、心理的な境界も、人が適切に管理することで、双方が長期的によい状態で過ごせるのだ。それをやるのは人間だ。

さて、これを企業変革の世界に当てはめてみる。

そのような事象から思うことは、人の社会の中でも、多様性を活かすためには、違いを活かすための適切な境界管理も大切だ、と考える。

・・・つづく。